稲毛海岸飛行場物語

ブログ(歩の会)-001

 

首都圏に住んでいる高校生時代の同級生3人が喜寿を迎えたことを契機に始めた
街歩き。魅力に富んだ歴史探訪を楽しんでいます。今回は「千葉県の稲毛海岸」
です。

ヤス: 稲毛海岸と言えば、君たちなら潮干狩りぐらいしか思い浮かばないと思うけど、
     実は日本の航空業界の発展に大きな足跡を残している場所なんだよ。
     今日は航空産業の黎明期を学べる施設と稲毛海岸、それに彩りとして「花
     の美術館」を案内するね。

あいにくの雨模様でしたが、3人はJR京葉線の稲毛海岸駅に集合して、そこからバ
スと徒歩で最初の訪問地「稲毛民間航空記念館」に到着しました。そこでは館内の
展示品を職員の方に解説していただきながら、民間航空の歴史について学びました。

ノブ: 100年前の日本には一部の人を除いて、飛行機を見た人はほとんどいなかった
    はずだよね。そんな時代に砂浜を滑走路として使った日本初の民間飛行場が
    できたのだから、近隣の人たちは驚いただろうね。

ヒデ: 現在の砂浜を見たら、ここに滑走路があったなんて想像もつかないけど、展示
     されていた復元機の「鳳(おおとり)」のような軽い機体なら、遠浅の砂浜を滑
     走路として利用することも可能だったと思えたね。

ヤス: ライト兄弟の初飛行から7年後の1910年12月(明治43年)に国内で初めて飛行
     機が飛んだというから、世界各国に比べても日本は随分と早く取り組んだよう
     だね。当時の明治政府が飛行機の将来性を確信し、国家的プロジェクトとして
     力を入れていたことが分かるな。

ノブ: 東京湾内の海岸に3kmの遠浅があったことが、まずは驚きだよ。それに、「ここ
    の砂浜は潮が引くと荷馬車が通れるほどに固くなるから滑走路として使えた」
    との説明があったね。その当時からリゾート地として有名だった場所のようだか
    ら、この砂浜の特徴は世間でよく知られていたのだと思うな。

ヤス: 日本での初飛行は現在の東京代々木公園にあった陸軍の練兵場で、使った
     飛行機はヨーロッパから輸入した外国製だった。でも、その翌年には早くも
     国産の飛行機での初飛行が成功している。そして次の年には川崎競馬場で、
     さっき展示してあった「鳳」号での有料飛行会が開催されている。
     こうした飛行機作りの急速な進歩を支えたのは当時の技術者たちの意気込
     みとか情熱とか努力なのだろうね。

ヒデ: そういった技術者の一人である「奈良原三次」が、この広大な砂浜を持つ海岸に、
     日本初の専用格納庫を備えた民間飛行場を開設したというわけだ。
     テスト飛行の時は屋台まで出る賑わいだったというのも、飛行機そのものが珍
     しかった当時としては、うなずけるよ。

ヤス: だけど、1917年に台風による高潮で大打撃を受け、飛行場は津田沼や他の地
    に移転したので、稲毛海岸飛行場の役割は終わったんだな。

ノブ: 日本の航空業界の黎明期において大きな役割を担っていた場所だということで、
    ここに「稲毛民間航空記念館」が建てられたんだね。

ヤス: 国策としての戦闘機作りの歴史は別として、今回は民間航空が稲毛海岸での
     遊覧飛行を足がかりにして、現在のような人や物を大量輸送する航空産業へ
     と発達した過程を君たちに紹介したかったのだ。

ヒデ: お蔭で、日本における有人飛行機誕生の背景が分かったよ。

ヤス: 実は今回の企画に合わせたかのように、3日前のBSテレビで日本の航空機の
     父と言われる「二宮忠八」の特集が放映されたんだ。彼は幕末の生まれで、
     小学校しか出ていないが、ライト兄弟よりも12年も前にカラスの飛ぶ姿からヒン
     トを得て、輪ゴムを動力としたカラス型プロペラ機を飛ばした。
     更にその後、甲虫である玉虫の飛び方からヒントを得て、翼の長さ9mの玉虫
     型有人飛行機を作成している。でも、これを飛ばす強力なエンジンが外国にし
     かなくて、高価なため、陸軍に何度も資金援助を上申したが、「外国でできな
     いものが日本でできるはずがない!」と拒否されたんだ。
     その間にライト兄弟の有人飛行成功のニュースが入って、彼は飛行機作りを
     断念した。彼にとっては2番手じゃあ、意味がなかったのだね。
     香川県にある「二宮忠八飛行館」には復元機があり、京都の彼の自宅敷地
     内には「飛行神社」があるよ。
     放送の中で、カラス型模型飛行機を完全復元させて飛ばしているのを見たけ
     ど、飛行機は一度下降した後に浮き上がり、その後、きれいに滑空していた。
     ちなみに、飛行器(後に機)は彼の命名なのだそうだ。

ノブ: 特別な教育を受けた研究者でもない青年が、何の文献もない中で鳥や虫から
    飛行原理を探り、たった一人で有人飛行機を作ったとは驚きだ。
    当時、彼の作った飛行機を理解できる人がいなかったのが惜しまれるな。

「稲毛民間航空記念館」を出た3人は、砂でできた大きな「ポセイドン像」などの出来栄
えに感心しながら、人工の浜である「いなげの浜」や植林された松林を歩きました。

ヒデ: 雨降りは残念だけど、波の音を聞きながら、砂を踏むのはいいものだね。

ノブ: 天気さえ良ければ、久し振りに裸足で波打ち際を歩きたかったな。

3人は思い出話に花を咲かせながら、松林内の遊歩道を抜けると、千葉中央卸売市
場内の食堂で海鮮丼を楽しみました。そして最後の訪問地である昔の「千葉市花の
美術館」、今は「三陽メディアフラワーミュージアム」に向かいました。

ヤス: 今、企画展として「秋の花絵巻 -源氏物語の世界―」をやっているよ。ここで
    も解説員の方をお願いしてあるからね。

ノブ: 植物園にはよく行くけど、源氏物語とのコラボとはどういうものか楽しみだな。

ヒデ: 見たところ、あまり広くはないから、企画展で頑張っているのだろうね。菊人形展
     みたいなのかな?私もどんな展示になっているのか期待しているよ。

企画展では解説を聞きながら、源氏物語に登場する秋の花々と源氏絵巻の掛け軸や
御車との組み合わせによる花絵巻に見入り、その後、園内を巡って自慢の花々を観賞
しました。
3人の歴史探訪・街歩きは続きます。次はどこへ行くのかな?

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