日本橋界隈の歴史探訪

歴史散歩

 

首都圏に住んでいる高校時代の同級生3人が喜寿を迎えたことを期に、魅力に富
んだ歴史探訪の街歩きをすることになりました。
その第1回目の場所として選んだのが「日本橋」。

ノブ : 今日は日本銀行の内部見学が目玉だ。事前申込みをしておいたから、期待
    してね。

ヒデ : 集合場所を「橋」の中央に決めたってことは、橋の説明から始めるのかい?

ノブ : その通り!最初にここに橋が架けられたのは1603年。家康が江戸に幕府を
     開いた一ヶ月後だったから、江戸の町にとって、いかに重要な橋だったかが
     分かるよね。現在の橋は花崗岩製の二連アーチで、明治44年に架けられた
     ものだよ。

ヒデ : ってことは、関東大震災や第二次世界大戦にも耐え抜いたって事?スゴイな。

ヤス : 初めて聞く話だ。明治時代の技術力って素晴らしかったんだね。僕はあそこ
      にあるデパートで何度も買い物をしているけど、歴史という視点でこの街を見
     ることは無かったよ。今日はいろんな事を教えてもらえそうだな。

ノブ : この獅子と麒麟の像がカッコいいだろ。獅子は江戸の守護、麒麟は繁栄のシン
    ボルらしいよ。江戸時代は五街道の起点、その後は全国の道路の起点になっ
    ていることはよく知られているよね。ちょっと、ここから上を見て欲しいんだ。

ヤス : オ~、あれは何だ?高速道路の上下線の間に空間があって、そこに塔のよう
     なものが立ってるじゃないか。支えている4本の脚みたいなものの長さが微妙
      に違うね。

ヒデ : いかにも、苦労してくっつけたって感じだな。

ノブ : 今度は、その真下を見てごらん。丸いプレートが見えるかい?

ヤス : 車の往来が激しくて見にくいけど、アッ、見えた、見えた。

ノブ : あれが「日本国道路元標」のプレートなんだ。向こう側の橋のたもとにレプリカが
     あるから、後で見に行こう。こちらの橋の袂には「日本橋魚河岸跡」の石碑があ
     るよ。江戸時代から関東大震災までの300年間、ここに「朝だけで千両の金が
     落ちる」と言われた魚河岸があったんだ。今は築地で、そのうち豊洲に移転す
     るけどね。

ヒデ : この辺りに鰹節、海苔、佃煮を扱う老舗が多いのは魚河岸があった名残りなん
    だな。

ノブ : ウン。この周辺は見所が多いから、今日は橋の北側エリアの探訪だけに絞るよ。

3人は橋を後にして、老舗が軒を連ねる「むろまち小路」にやって来ました。

ノブ : この小路には鰹節の「八木長」と「大和屋」、練製品の「神茂」、佃煮の「日本橋
    鮒佐」、海苔の「山本海苔店」、書画用品「有便堂」など創業100年~300年とい
    う老舗が並んでいるね。
    ホラ、ここには「三浦按針」の屋敷跡を示す石碑がある。彼は家康のもとで武士
    になったイギリス人だよ。中央通りにある「三越」は1673年(342年前)創業だ。
    時代の変化に適応しながら生き延びるのは並大抵のことではないよ。経営者た
    ちの努力の賜物だな。

ヒデ : 「三越」は江戸時代でも奉公人が600人もいて、同時代では世界一のスケール
    だったらしいね。

ヤス : あそこにあるライオン像は戦火を免れた古いものだと聞いたことがあるよ。

ノブ : 1914年製で、ロンドンにあるネルソン提督像を囲むライオン像がモデルらしいね。
    それにしても、あの垂れ幕は傑作じゃないか。「越後屋 お主も春よのう」だってさ。

ヤス : ハハハ、お見事じゃ。

日本銀行本店にやって来ました。3人とも初めての訪問です。受付を済ませて建物内に
入った一行はガイド嬢の案内による銀行内の見学を終えて、満足そうに建物から出てき
ました。

ノブ : 業務紹介のビデオとガイド嬢さんの説明がわかりやすかったから、日本銀行の役
    割が理解できたね。僕は銀行と官庁だけが利用できる銀行だと思っていたけど、
    交通違反金などを国へ収める時には、一般の人でも利用できるってことを初めて
    知ったよ。

ヒデ : この建物を設計した辰野金吾さんは東京駅も手がけたんだよね。東京駅・丸の内
    側のドームとそっくりなドームが銀行内にあったけど、本当に素敵なデザインだな。

ヤス : 赤い絨毯、旧式なデザインのエレベーター、歴代総裁の肖像画など歴史を感じさ
    せる調度品と重厚感漂う石造りの建物内部も見ごたえがあったよ。それに当時使
    われていた金庫の中を覗き見ることができたのも良かった。いざという時は保管さ
     れている札束が川の水で満たされる設計になっていたのには驚いたね。
    すごいのは金庫の扉で、行員二人がかりじゃなきゃ開けられない程の重さと大き
    さだったね。堅牢さと危機管理の行き届き方はさすがだな。
    コンピューター時代になって、あの金庫に現金を保管する必要がなくなったから、
    金庫の中を見せてもらえるようになったんだね。

ノブ : 僕は1億円の札束や15kgの金塊を持ち上げたのが一番印象に残ったね。それに
    しても見学者が多かったな~。特に外国の方が多いのにはビックリしたよ。

次に、3人は常盤橋を渡って「渋沢栄一の像」の前にやって来ました。

ノブ : 渋沢栄一は日本の「資本主義の父」と言われた人で、明治6年に日本初の銀行
    「第一国立銀行(現みずほ銀行)」を設立したんだ。彼の評価が高いのは実業界
    に身を置きながら「私利私欲を追わず公益を図る」という考えを大切にして、渋沢
    財閥というものを作らずに、社会貢献に熱心だったからだと言われている。
    彼は多くの地方銀行の他に東京ガス・東京海上火災保険・王子製紙・東京証券
    取引所・キリンビール・帝国ホテル・東洋紡績など多様な企業の設立に関わり、
    その数は500社以上らしいよ。

ヒデ : 「STAP細胞はあります」で有名になった理化学研究所の創設者のひとりだよね。

ノブ : もとは幕臣で、明治になって大蔵省に入った人だと聞いたことがあるよ。

その後、江戸通りに出て、関東大震災後の復興小学校である「常盤小学校」に着きま
した。

ノブ : 昭和4年に震災復興事業として建てられた鉄筋校舎だ。公園を隣接させて、装
    飾にもこだわったところに、震災復興後の都市造りについての考え方がよく出
    ているよね。
    これから行く十思公園も旧十思小学校に隣接して作られた公園なんだよ。

ヒデ : 震災復興のシンボルとして、立派な小学校作りに取り組んだんだね。
3人はその後、点在する老舗と明治から残る看板建築の傑作を見ながら、「時の鐘通
り」を歩いて十思公園の「時の鐘」の下に着きました。

ノブ : 江戸時代の「時」は江戸城で太鼓を打ち、それを聞いて、この鐘を打って市民に知
    らせたそうだよ。移設されたけど、鐘自体は当時のものだね。今でも大晦日の夜に
    は、この鐘を撞くんだってさ。
    この辺りは小伝馬町処刑場跡で、1859年の安政の大獄事件では高野長英・吉田
    松蔭など50余名が獄に収容されていたんだ。

第1回目の友だちウォークは約1万歩でした。これまで歴史探訪にあまり興味がなさそう
だったヤスも次回が楽しみになってきたようです。次の訪問先はどこになるのでしょう。

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