雛人形たちの祈り

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茶箱の中に収められていた雛人形たちが一年振りに取り出される日がやって来ました。
この家の奥様の手によって、お顔や手を包んでいた薄手の和紙が一枚ずつ剥がされ、
整然と段上に並べられた人形たちはとても晴れやかな表情をしています。

男雛:やれやれ、やっと定位置に戻ったぞ。虫に食われたところは無いか?

女雛:私は大丈夫。衣装にもほころびはありません。ですが、何年経っても樟脳の匂い
    には苦しめられますね。十二単(じゅうにひとえ)の中にまで染み込んで、匂いが
    抜けるのに幾日もかかってしまうのですよ。

三人官女:確かにこの匂いは鼻に付いて仕方がないのですが、樟脳のお蔭で私たちも
    無事です。五人囃子さんたちも元気に手を振っていますから、ご安心ください。

男雛:何よりじゃ。全員が揃って、今年も会えたことを嬉しく思うぞ。

女雛:いつものお部屋に飾って頂いたということは、この家のサトちゃんも元気なんです
    よね。一年でどれくらい成長したのでしょう。早く会いたいですわ。

ところが、雛飾りが置かれた部屋にサトちゃんや家族が集まったのはわずかな期間でし
た。雛人形が飾られた数日後に、サトちゃんは病気で入院してしまったのです。
その日から、この部屋に家人が集うことはなくなりました。

男雛:間もなく3月3日の「ひな祭り」がやってくる。何とか、その日までにはサトちゃんが
    戻って来てはくれぬかのう。このままでは私たちの存在価値が無くなって、来年
    からは箱から出してもらえず、永遠に暗い茶箱の中で過ごすことになるかも知れ
    ないぞ。我々の力が試される時じゃ。何とかせねばなるまい。知恵を出し合おう
    ではないか。

女雛:今朝、こちらの奥様が「サトちゃんの手術が無事に終わった。」と話しているのが
    聞こえましたよ。経過が良ければ戻れるかもしれませんが、どなたもこの部屋に
    顔を出さなくなったので、状況がよくわかりませんね。

三人官女:本当にサトちゃんのことが心配で、心配で。私たちにできることはないので
    しょうか?

五人囃子:私たちもお手伝いしますよ。といっても、お囃子を奏でることしか、できない
    のですが・・・

男雛:皆の気持ちは嬉しいぞ。何かできるはずじゃ。しっかりと考えてみよう。このまま、
    あの娘がいない部屋で「ひな祭り」の日を迎えると思うと、つらくてたまらない。
女雛:そういえば、うろ覚えではありますが、私たちをこの世に送り出してくれた人形師
    さんが、一心不乱に何かを称えながら心を込めて書いたものを、あなたに託した
    ような気がするのです。私の記憶違いでしょうか?

男雛:そんなことがあったかのう。しばし待て。思い出してみよう。ウ~ン、私が持ってい
    るのは「笏(しゃく)」と「刀」だけだが・・・。オォ!そう言えば、この「笏」だ。私が
    手に持っている「笏」に人形師が何やら文字を書き込んだように思うぞ。
    人形師は私たちを作る際に、私たちと縁が結ばれる娘の健康と幸せを願う強い気
    持ちを込めたから、その文字には何らかの力が備わっているのではないだろうか。
    そうだ!この「笏」を娘の枕元に置くと「病が退散する」と言っていたのを思い出した
    ぞ。こんなに大切な事を忘れておったとは、まことに恥ずかしい限りじゃ。

女雛:そういうことでしたか。でも、その「笏」を病院にいるサトちゃんに届けて、枕元に置
    いてもらう方法はありますか?

三人官女:ここから動けない自分たちが情けなくもあり、悔しくもあり・・・アァ・・・

五人囃子:家の人をここへ呼び寄せるために、私たちがお囃子を演奏してみましょうか?

男雛:なるほど。まずは、誰かにこの部屋へ来てもらわぬことには話にならぬからのう。

女雛:ここに呼び寄せても、「笏」に気付いてもらい、さらに、病院へ持って行ってもらうの
    は、かなり難しいのではありませんか?

男雛:考えてみよう。先ず、お囃子を聞いて誰かがこの部屋に入って来たら、目の前で
    私が「笏」を手離して下へ落とすのじゃ。その人は多分、「笏」を拾い上げて、私
    の手に戻そうとするだろう。その時に「笏」に書かれた文字に気付いてもらえると
    良いのじゃが。わしらには何と書かれているのか分かりようもないが、その文字
    を見て病院へ持っていこうという気持ちになってくれることを祈るしかあるまい。
女雛:とにかく、すぐにやってみましょう。少しでも早く病院へ「笏」が届けば、3月3日ま
    でにはサトちゃんが退院できるかもしれないわ。人形師さんの心を引き継いだ私
    たちがサトちゃんを厄災から守るために力を発揮すべき時は、今を置いて他には
    ありませんことよ!

三人官女:お囃子を聞いてこの部屋に人が現れたら、すぐに私たちが踊り始めます。
    きっと、何かを感じて、私たちの近くまで来てくれますよ。

五人囃子:ヨ~シ、腕によりをかけて最高のお囃子を奏でるぞ。さあ、始めよう。

段飾りの上で賑やかなお囃子が始まりました。暫くすると、廊下に足音が聞こえ、障
子がス~ッと引かれたかと思うと、この家の奥様が現われました。間髪を入れず、
三人官女は大げさな身振りで踊り始めました。すると、雛人形たちのいつもとは違う
雰囲気を不思議に思ったのか、奥様が段飾りのすぐ前まで近寄って来たのです。

奥様:この部屋から音楽が聞こえたように思ったんだけど、誰もいないわね。

男雛:よし今だ。「笏」を離すぞ。お願いだ、気付いてくれ!

奥様:まぁ、男雛の「笏」が落っこちたじゃないの。元に戻さなくっちゃ。
    あら?これは文字のようね。今まで気付かなかったけど「喜」という字が二つ
    くっいて並んで、なんとなく縁起が良さそうな文字だわ。そうだ、病院で退屈
    しているサトちゃんに持って行ってみましょう。これを見たら、雛人形さんたち
    に会いたくなって、回復が早まるかもしれないわね。

男雛様、この「笏」をしばらく拝借しますよ。

こう言って、奥様は文字の書かれた「笏」を持ち、部屋を出て行きました。雛人形た
ちは「ヤッタ~、ヤッタ~」と大喜びです。雛人形たちの心からの祈りが届いて、サト
ちゃんが3月3日までに退院できるといいですね。
祈りよ、届け!

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